弥勒町の玉宝山松林寺に3基の宝篋印塔があります。土井利勝が養父、養母、正室の菩提を弔うために造立した供養塔です。 中央の塔は、慶長3年(1598)7月11日に死去した養母土居利昌の室(葉佐田則勝の長女)の供養塔です。33回忌にあたる寛永7年(1630)7月11日に造立されたもので「玉等院殿清誉壽安大禅定尼」と刻まれています。正面向かって左側の石塔は、慶長11年(1606)9月11日に死去した養父土居利昌の供養塔です。寛永7年7月11日に造立されたもので「宝光院殿本誉見貞大禅定門」と刻まれています。 右側の石塔は、元和3年(1617)9月5日に死去した正室の供養塔です。13回忌にあたる寛永7年9月5日に造立されたもので「清光院殿浄誉明徹大姉」と刻まれています。佐倉藩主稲葉氏時代の『古今佐倉真佐子』に「土手の上に高さ六七尺斗の大石ひ(碑)一つある。土井大炊頭殿(利勝)母公の塚也」と記述されるのは、母ではなく正室のこの供養塔せす。享保2年(1717)頃には松林寺で正室の100回忌の千部会供養が行われています。

 弥勒町の玉宝山松林寺に3基の宝篋印塔(ホウキョウイントウ)「経文を納める塔」があります。土井利勝が養母、正室の菩提を弔うために建立(コンリュウ)した供養塔です。 中央の塔は、慶長3年(1598)7月11日に死去した養母土井利昌の室(葉佐田則勝の長女)の供養塔です。正面向かって左側の石塔は、慶長11年(1606)9月11日に死去した養父土井利昌の供養塔です。右側の石塔は、元和3年(1617)9月5日に死去した正室の供養塔です。佐倉藩主稲葉氏時代の『古今佐倉真佐子』に「土手の上に」高さ六七尺斗の大石ひ(碑)が一つあります。土井大炊頭殿(利勝)母公の塚也」と記述されるのは、母でなく正室のこの供養塔です。享保2年(1717)頃には松林寺で正室の100回忌の千部会供養が行われております。
担当 白木宏繁