岩富にある日蓮宗勝興山長福寺は岩富町の京隆山教蔵寺とともに、本土寺(松戸市平賀)の末寺でした。戦国時代に本土寺側では長福寺の檀徒を『ヤトミ衆』、京蔵寺の檀徒を『イヤトミ衆』として掌握していました。 長福寺には元禄7年(1694)在銘の梵鐘があります。総高1.45m、口径76cmの梵鐘です。乳5段5列と縦隊に各2個を配し、合わせて108個として百八の煩悩(ボンノウ)になぞらえており、上帯は素文、下帯には唐草文をあしらい撞座は龍頭の向きと同じ方向にあります。江戸時代に作られた梵鐘によくあるように、駒の爪(鐘の最下部)が太く外に出張る特徴を備えます。 池の間(中帯の上)のうち二区に鋳込まれた銘文には、元禄7年17世日尭(ニチギョウ)の時に、江戸深川の工人田中七右衛門尉藤原重次が鋳造したことを記し、さらに長福寺の開基について、本土寺9世の日意上人が檀徒原左衛門尉景広(ハラザエモンノジョウカゲヒロ)の力を得て、文明2年に建立したときしています。
担当 狩野義昭