明治36年志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、青菅・先崎の児童が通学した。昭和20年後半から志津地区(現ユーカリが丘を含む)の人口増加に伴い、昭和30年に志津村立志津小学校の第二分校として校舎を新築(写真)された。昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、第二分校は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称され、昭和52年3月に廃校になりました。廃校から30年近くなりますが、地域の方々のお陰で廃校時の原型を保っています。
担当 狩野義昭