酒々井観光ナビ・清光寺 
   
     
 銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像
 
この仏像は善光寺指揮三尊仏といわれる形式のものです。鎌倉時代から室町時代にかけて、浄土宗の布教とともに同宗の本尊として全国的に信仰されてきたものです。清光寺の三尊仏は造像紀年が明らかであること、鋳上がり像容が美しいこと、胴太く、手が小さい等、特徴をよく表し三尊仏の代表作とされて昭和10年に国指定となりました。中尊の背面に正安2年(1300年)9月 日、その他の銘があります。
 
  清光寺は上本佐倉にあり、浄土宗知恩院に属します。徳川家康の父広忠の歯骨塚があるため、徳川家より御朱印五十石を与えられていた寺として知られています。清光寺の開山は室町時代末期の弘治2年(1556年)月峯上人と伝えられています。二代目住職の峰誉無算和尚は三河国大樹寺九世鎮誉の弟子でしたが、この時に徳川家康の父広忠の知遇を得ており、広忠が死去、火葬の際に歯骨を拝請護持して諸国遍歴の末、清光寺の住職となり、歯骨を境内に葬って霊廟としていました。天正19年(1591年)11月、家康が東金に鷹狩りに来た際に、無算和尚は家康を訪ね、成烈院(広忠の諡号)の歯骨を安置してあることを伝えました。家康は翌日予定を変更して清光寺に来て、霊廟を参拝し子孫長久を祈り厚朴の木を植え、供養料として石高五十石の田畑を寄進、御朱印寺としたと伝えらえれています。
 本尊は銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像で、この仏像は清光寺の創建よりも256年も古いものであり、どういう理由で清光寺の本尊となったのかは不明です。
                                                     <「酒々井の寺社」酒々井町企画政策課 より>
  
 
              担当 壷阪一弘