車道から入る参道です。 最初は通り過ぎ、戻ってやっと見付けました。






新光寺は真言宗大仏頂寺の末寺で、本尊は大日如来。
開基は不明。境内入口に宝暦3年(1753)銘の六地蔵があります。
境内の奥の太子堂には、聖徳太子像と伝わる室町時代後期の
木造童子立像が祀られています。


右側に下記の写真といかにも教育委員会らしい
難解な言葉で書かれたパネルがありました。
  


 

崩れかけた石段を20段ほど登ると、お寺の雰囲気が出てきました




 酒々井町指定有形文化財 木造童子立像

      指定年月日:平成3年3月29日
      所 在 地:酒々井町柏木字谷津台562
      所 在 者:酒々井町柏木区(新光寺)

 現在は廃寺となった新光寺に伝存する像で、像高71.0cmある。
この堂に遣る墨書銘札によると、すでに江戸時代の天明2年(1782)には聖徳太子像とされていたようである。

 頭髪を角髪(みずら)に結い(現在欠失)、袍(ほう)の上に袈裟を懸けた童子形であるから、そのように考えられたのであろう。

 聖徳太子が16才の時、父用明天皇の病気平癒を祈る姿を写したという孝養太子像は、たしかに同じような姿に作られるが、両手で柄香炉を持っているのが特徴である。

 この新光寺像は、頭、体部は別材製で、それぞれ正中を通る線で矧合された2材が根幹となり、これに体部のみ背面に2材を矧足し、深く内部を刳っている。

 両目は玉眼嵌入、矧目に布貼を施している。彩色はすべて江戸時代の粗悪な補彩である。台座も補彩と同じ頃の補作と思われる。

 やや寸のつまった丸味のある体躯、ふっくらとした肉付きで小ぶりの愛らしい目鼻立ちの面貌など、童子らしい表現にまことに巧みなものがあるが、鎌倉時代までの作風と異なり、近世の人形に近い世俗的な趣の強い作品である。

製作時期を限定することは難しいが、およそ室町時代後半から桃山期頃と考えられる。
                   平成3年3月  酒々井町教育委員会
担当 菅 勇二