将軍への直訴を決意した惣五郎が妻子に別れを告げようと自宅に戻る途中、禁制を犯して舟を出し、その後印旛沼に身を投じて死んだという、任侠の渡し守甚兵衛を偲んで、ここの水神社の横に「甚平供養堂」が建っている。嘉永4年(1851)に江戸中村座で初演された歌舞伎の「佐倉義民伝(東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし))」印旛沼の場である。この甚兵衛供養堂の周囲には「渡守甚兵衛翁碑」など四基の記念碑が建っている。創作された人物とはいえ、惣五郎とともに甚兵衛の義挙も語りつがれていくのである。  (壷阪一弘さんの 2011/12 配布資料より)
  
担当  菅 勇二