観応2年(1351)の紀年銘をもつ平貞胤供養碑
 平貞胤は千葉氏第12代の当主で京都で没しましたが、その恩に報いるために在郷の人々がこの供養碑を建立したと思われます。銘文については現在判読不可能です。しかし、昭和初期の調査記録によれば、「平貞胤□□霊□也 観応二年辛卯四月日 当卿□人 各々敬白」と刻まれていたとされています。
この雲板は応永15年(1408)の紀年銘があり超林寺の寺宝になっています。<B>雲板</B>とは、輪郭が雲の形をしていることから名付けられた<BR>ものです。合図のために打ち鳴らす仏具で、特に禅宗寺院で使われました。表面には「小見永徳寺打板也(中略)応永十五戌子三月廿<BR>二日」という銘文が刻まれていますが、小見永徳寺という寺院の所在ははっきりしていません。
担当  菅 勇二