遷座前の弁財天



この地に鎮座していた弁財天はその昔、戦国時代に生谷村の住民が山林を開墾し、谷津に湧き出る清水を水源として水田を開き、この際に守護神として厳島神社として祀った。
 徳川時代の寛文年間(1667〜73年)に弁財天と合祀された。近隣の村々から、五穀豊穣と不老長寿を祈願する人々が訪れ、厚い信仰を集めた。さらに明治初頭、土地改革の際、生谷一番地として登記簿に登録された由緒ある所でもあった。
 51年9月30日に新しい祠が完工。厳かに遷座式がとりおいこなわれ、遷座を記念して、生谷1番地に記念碑を建立した。
                                                            (「豊かに実る大地」臼井生谷土地区画整理組合)より


 
担当 中川嘉信