上志津原は、戦後「軍用地の農地化」という国策によって全国から入植者が集められ、開墾から始まった町。
国は幹線道路沿いの幅10間(18m)は国有地のまま防風林用地とし、防風樹林の植付けからその管理まで、一切合切を入植者に任せた。
 最初の植林は全部「松」で会ったが虫害によってどんどん枯れ、枯れた跡に入植者達は思い思いの樹木を植えた。桜が多いのは佐倉市の市制10周年を記念して(苗木の給付を受けて)一切植樹をしたためだが、あと銀杏・ヒノキ・ケヤキ・ポプラ等等「樹木ならなんでもあり」の防風林となった。
 国は開拓団に防風林の払い下げをしたが、上志津開拓団は払い下げを受けず、その後もひたすら皆で育てた樹木を守り続けていた。すなわち公有地のままだったことが遊歩道につながった。他の開拓団は払い下げを受けた後、私有地に分割され防風林も早々と消えてなくなった。平成2年、この防風林は佐倉市に移管され、同時に国から44年間も任されていた。捕埴や下草刈り等の管理も佐倉市に返上された。平成10年佐倉市は当時の防風林の佇まいをそのまま生かした遊歩道を造った。翌11年に完成し「広報さくら」でその愛称を募って決まったのが総延長1.3kmの遊歩道「上志津原ふれあい通り」である・


 
担当 中川嘉信